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▼その6 後ろ盾がないときの戦術とは?----------------------------------
子どもたちと接していると、自分の計算高さやズル賢さに、はっと気づく瞬
間があります。彼らが天使のように純真だから、というようなキレイな話じゃ
ありません。非力な存在ながら生存し、成長しなければならない彼らは、決
して純粋なだけの存在じゃない。本能的であれ緻密に計算しなければ、生き
残れないですし。
その子は、いつもインターフォン越しに「ナ・ミ」と消え入るような、どこ
か少し媚びた声で、名乗ります。私は毎度、「ナミです!って元気に来れん
か」と少し苛立ちます。お菓子食べるかと問うと「どっちでもいい」と言い
ます。うちの娘の用意ができるまで待っていてくれ、そして一緒に行こうと
いうと「どっちでもいい」と言います。「なんで、そんな言い方すんの〜。
一緒に行こうよ〜」とやさしい声で言いながら、「なんで、いつもどっちで
もええねん!」と心中、ドスの効いた声で毒づきます。
彼女のお母さんが、どんな人なのか全くわかりません。近所に住んでいるは
ずなのですが、全く会ったことがない。つまりナミちゃんには、後ろ盾がな
いのです。わずか9歳にして、地域社会にたった一人で立っている。キレイ
じゃない服と水筒だけを身につけて。
そんな彼女に、私は実は意地悪です。他の子供たちに接するときと比べて、
明らかに少し意地悪になる。なぜか。彼女を叱っても誰も怒鳴り込んでこな
い確信があるからです。彼女の背後には盾がない。彼女の背後は、伽藍堂。
叱りやすい。きつく当たりやすい。無視しやすい。そして、彼女自身があま
り可愛くない。顔じゃなくて、表情や受け答えがです。
「どっちでもいい」と答えるのは、いつの間にか身につけた防御の姿勢なの
だろうと思います。あ〜、せめて無邪気であれば。せめてハキハキしていれ
ば。せめて元気であれば…こんなおばちゃんでもキミをもっと愛せるのに。
私は多分、これからもあんまり好きじゃない彼女と接しながら、度々深く反
省し、そしてまた「かわいくないよなあ」と腹を立てるでしょう。
後ろ盾のない子供は、ちょっと無理してでも受け入れる必要があると思いま
す。魅力がなくとも、可愛くなくとも、礼儀正しくなくとも。では、後ろ盾
がなく、魅力がなく、可愛げがなく、礼儀正しくない大人は?誰が無理して
つきあうでしょう。「後ろ盾がない大人」つまりは「個人で仕事をする人間」
です。企業の後押しがなく、ブランドもなく、利益を一にする団体の支えも
ない。そんな人間は、必ず、どこかしら魅力があり、可愛げがあり、礼儀正
しくなければならない。
一人で立つ人間。背中が伽藍堂の人間の生きる術は、笑顔と素直さと律儀さ。
それらを「明るさ」と言い換えてもいいかもしれません。その次に能力では
ないでしょうか。
私はナミちゃんを好きじゃありませんが、い〜つも彼女のことを考えていま
す。やだな。なんでだろう。ここにもこうして書いてしまったし。あんまり
認めたくありませんが、彼女は少し、私に似ている気もするのです。
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